mahironのアルバム

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    写真の基礎を学習中です。子供、風物、美しいものをたくさん撮りたい。カメラはD40とCoolpixP4を使用。

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2009年3月

2009年3月25日 (水)

WBC 意外な(?)視点から

(1)実に的を射た分析である。本当にカストロ自身が述べた言葉なら、彼は一流の野球評論家と言っても過言ではない、と思う。采配を取った韓国の監督(名監督だ!)でさえ、この言葉に反論できまい。

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「最も緊迫した試合」カストロ前議長 (スポーツナビ)

 【ハバナ24日共同】キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長は24日、政府系のウェブサイトに掲載したコラムで、日本が韓国を破って優勝した野球の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝について「(日韓)両チームの質を証明するかのように、想像できる限り最も緊迫した試合の一つとなった」と振り返った。

 前議長は「韓国は、日本に2回勝利した投手を使う誘惑に抵抗できなかった」と指摘。しかし同投手は「日本の専門家や打者に研究されてしまっていた」と、韓国の敗因を分析した。これに対し「日本の監督は投手の選択を間違えなかった」と評価した

 また決勝打を放ったイチローを「世界最高の打者」とたたえた。

 一方、前日の米国戦についても、松坂大輔投手の後に登板した選手を「わずかの危険でも感じると何のためらいもなく交代させた」として原辰徳監督を評価した。

[ 共同通信社 2009年3月25日 13:40 ]

(http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/jpn/headlines/20090325-00000035-kyodo_sp-spo.html)

(2)WBC決勝の延長10回表、誰もが不思議に思った「イチロー勝負」だが、こんな裏側があった。(概して「日韓戦」は朝鮮日報の方が充実しているようだ。)

(http://www.iza.ne.jp/news/feature/4586/sports/allphoto/165847/)

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WBC:イチローと真っ向勝負はサイン見落とし?

第2回WBC:朝鮮日報

 「いっそ敬遠して(1塁に)歩かせろと指示しなかったことが後悔される」。韓国代表チームの金寅植(キム・インシク)監督は試合後、深い無念の色を隠せなかった。延長10回表2死二・三塁でイチローに許した決勝の2点タイムリーヒットのことだ。金監督は「あの時、ベンチからは“イチローに四球を与えてもいいから、ストライクゾーンから外れるボールで勝負しろ”というサインを出した。捕手はサインに気付いたが、それが投手にまで伝わっていなかったようだ」と語った

 10回表、日本はこの回の先頭バッターだった6番・内川のライト前ヒットと稲葉の送りバント、そして8番・岩村のレフト前ヒットで1死一・三塁のチャンスを迎えた。だが、韓国の4番手投手・林昌勇(イム・チャンヨン)は代打・川崎をショートフライに打ち取り、ピンチを逃れたかと思われた。

 次のバッターは、この日5打数3安打と打撃感覚が戻ったイチロー。林昌勇は最高時速96マイル(約153キロ)のストレートを中心に投げ、ボールカウント2-1と追い込んだ。ところが、イチローがその後のストレートを次々とファウルして粘った。すると、林昌勇が投げた8球目はキレがない変化球で、真ん中に入っていった。それをイチローはセンター前にはじき返し、見事な2点タイムリーヒットに。その瞬間、金監督は口を半開きにしたまま、理解に苦しむという表情をした。

 金監督は記者会見で「9回に捕手が若い姜珉鎬(カン・ミンホ)に代わり、サインが伝わっていなかったのかもしれない。林昌勇が球に自信を持っていたのかもしれないが。捕手とベンチは確かにサインを交わしたのに…」と悔しがった

 これについて、林昌勇は韓国野球委員会(KBO)広報チームを通じ、「きちんとサインが見えなかった」とコメント。また、「(ストライクでなく)ボールを投げようとしたが、真ん中に入ってしまい失投になった。イチローと勝負したいという気持ちもあった」と当時の状況を説明した。韓国のサインミスについて、日本の原辰徳監督とイチロー本人は「相手のサインをこちらが知るはずがない。次のバッターがいいから(イチローで)勝負しようとしたのかと思った」と話している。

 しかし、明暗を分けた「林昌勇のイチロー真っ向勝負」について、金監督は「選手やコーチたちは本当によくやった」と、健闘した林昌勇を励ました。これも「金寅植リーダーシップ」の一つだといえよう。

米ロサンゼルス=高錫泰(コ・ソクテ)記者

(http://www.chosunonline.com/news/20090325000017)

(3)また、誰もが認める「強い韓国」「健闘韓国」の中で、銀メダルを「拒否」した選手がいた。そのイ・ヨンギュが最もファイト溢れる選手の一人だったことに誰も異論はないはずだ。「借りを返せず、納得がいかない」ということだろうか?遠からず、イ・ヨンギュご本人が心中を語るだろう。

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試合後の表彰式で日本代表が金メダルを受け取り、松坂が大会最優秀選手(MVP)に選ばれる間、一塁線上に並んだ韓国代表のうち、一人だけ目立つ選手がいた。(中略)

日本代表に対するセレモニーが行われる間、韓国の選手たちは横をちらちら見ながら、悔しさ半分、うらやましさ半分という視線だった。しかし、李容圭だけはただ韓国のダッグアウトだけを見詰め、日本に対する祝福ムードからあえて目を背けようとしていた。お祭りムードの三塁線の日本選手には終始目もくれなかった

 誰よりも悔しさが強かったからだろう。第2ラウンド1位決定戦で日本の先発・内海(巨人)が投じたストレートがヘルメットの後頭部に当たるアクシデントが起き、日本との決勝戦では実力で借りを返すつもりだった。しかし、決勝戦では先頭打者としてスタメンに名を連ねたが、4打数無安打1四球という結果に終わった。その上、6回には四球で出塁した後、盗塁を試み、ショート中島(西武)の左ひざに顔をぶつける一幕があった。

 李容圭はそんな経緯があったことから、準優勝の銀メダルを首に掛けることが納得できなかったのだろう。日本選手に目をやらなかったのも同じ理由のはずだ

(写真記事ともhttp://www.chosunonline.com/news/20090325000024)

例のヘルメットが割れたシーン。写真は上下とも朝鮮日報より拝借。

(http://www.chosunonline.com/news/20090325000024)

(4)WBCの盛り上がり、朝鮮日報上は実にすごい。日本のメデイアでは、ちょっと考えられない。「スポーツ面の中で」ではなく、朝鮮日報・全紙面での、アクセス状況だからね。何と、Best20全てが「日韓対決」関連・・・。


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2009年3月21日 (土)

時代は巡る 中原誠引退

将棋の中原誠十六世名人が引退を発表。

驚きはなかったが、実に感慨深いニュースだった。まさしく「光陰矢の如し」、一時代を築いた大棋士さえも、いつの間にか人々の記憶から薄れていく。振り返って、「戦後将棋界の覇者」という系譜をたどるならば、昭和(戦後)から平成への60年間において、

大山→中原→羽生

実はたった3人だけなのである。ここには天才升田幸三も、現将棋連盟会長米長邦雄も、「神武以来の天才」加藤一二三も谷川浩二も登場しないのである。

戦後将棋界最強の棋士は、間違いなく大山康晴(十五世名人)であった。若い人には、やはり最強=羽生というイメージだろうが、戦後最強棋士は羽生ではない。大山康晴である。大山が打ち倒してきたライバルの名前を挙げてみよう。木村義雄(十四世名人)、升田幸三、二上達也、山田道義、加藤一二三・・・。前の二人は、大山の偉大なる先輩である。後の三人は大山より若い棋界の若きスターである。前世代のみならず後の世代も打ち倒して一時代を築いたのが、大山康晴という不出世の大名人であったのだ。その勝負強さは羽生などの比ではない。そして、その最強大山時代を「ついに終わらせた」のが、中原誠である。それは1972年の第31期名人戦であった。誰も倒せなかった大山康晴(米長邦雄でさえ通算対戦成績で負け越しているはずだ)という大名人をついに倒したことこそ、中原誠という偉大なる棋士の最大の功績、存在価値なのだと思っている。

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2009年3月19日 (木)

WillCOM03「見参」

初代03が壊れてしまい、さて次の機種ですが、さすがにじっくり研究するには時間も暇もなく、ネットで何時間か調べた結果、

「まあ、WillCOM03かな?」

ということに落ち着きました。理由は、初代03の後、「ES」→AD「ES」と改良が加えられ、かなり使い勝手が良さそうになっていること。また、ハード的に増強されていること(特にプログラム実行用メモリが約100MBというのは、初代から見れば「夢のよう」です。さぞかし安定しているだろうと・・・)

ということで、吉祥寺のウィルコム・カウンターに出かけ、早速契約してきました。色はもちろん、ブラックトーン。店頭には1台しか残りが無く危ういところでした。

購入直後の新人君 willcom03

初代03に比べると、実に「薄い・軽い」!!たったの135Gしかない。初代が220Gですから、おおかた半分ですな。ただし、さすがにキーボードは小さくて打ちにくいなあ~。初代が打ちやすくて良かったな~。私としては、「初代03が薄くなって、かつ安定し、TODAY画面の使い勝手が良くなれば充分」だったのですが・・・。(D4は電話じゃないし、大きすぎる・・・。)

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2009年3月18日 (水)

W-ZERO3「死す」

3年と2ヶ月使った、初代W-ZERO3が、ついに壊れました。(電源全く入らず)初代W-ZERO3と言えば、日本のスマートフォンの事実上の草分けとなった機種で、2005年12月販売、「スライド式フルキーボード付きの携帯電話で初めて成功した機種」(販売初日に量販店では行列もでき、総計15万台以上を販売)として記憶に残ることでしょう!

(シャープのHPよりhttp://www.sharp.co.jp/ws/004sh/function/design.html)

「携帯電話(PHS)+ミニPC=スマート・フォン」として魅力たっぷりの素晴らしい機種でしたが、3年使ってみると多くの致命的欠点にも気が付きました。いくつか列挙してみると。

windowsmobile5は、余りにも不安定3年間のリセット回数は、何と2400回超!特にtoday関連のカスタマイズは、不安定さを増幅。

②メモリ、特にプログラム実行用RAMが少なすぎる。実質40MB程度しかなく、これもフリーズの大きな原因となる。

③カスタマイズすると危険であるにもかかわらず、TODAY画面の使い勝手が悪すぎた。また、windowsmobile5標準搭載の「連絡帳」や「仕事」は余りにもレベルの低い水準にあった。マイクロソフトという会社の手抜き姿勢を疑わずにいられないですね。

これに対して良い点を挙げるなら、何と言っても、

スライド式フルキーボード搭載。実に打ちやすかった。

②美しく、大きな液晶画面。

優れたフリー・ソフトがたくさんあること。

といったところでしょうか?

ともあれ、次の機種に移行するしかありません。そう言えば、私の周囲で使っている人は、ほとんど見かけなくなっていましたね~。


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2009年3月11日 (水)

73歳現役続行 有吉道夫九段

将棋界の一番長い日(A級順位戦最終局)が終わり、名人挑戦者と陥落2名が確定した。華やかな表舞台の裏で、73歳の有吉道夫九段が「現役」を賭けてC級2組の最終戦を戦っていた。この最終局に負ければ、即引退が決まるところだったが、見事に勝利。相手は、昇級候補の22歳の若手である。常識的に考えてかなり分が悪いと思われる。何と50歳年下である。読む力、読むスピードでは全くかなわないはずだ。

有吉道夫九段と言えば、関西を除けば、さすがに将棋ファン以外には余り知られてはいないだろう。しかし、将棋界のトップ10と言うべきA級に通算21期在籍した1流棋士なのである。(A級通算20期以上を成し遂げた棋士は、中原誠16世名人、米長邦雄永世棋聖、谷川浩二九段など、ほんの一握りの限られた棋士しかいないのである。羽生名人でさえ、まだ16期(もう、と言うべきか)である。)また、通算1000勝も達成している。

私の父ほどのご高齢の現役棋士の「勝負魂」に心から敬意を表したい。

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将棋:名人戦C級2組 有吉九段が降級免れ現役続行

第67期名人戦(毎日新聞社、朝日新聞社主催)の順位戦C級2組最終戦が10日行われ、引退の瀬戸際に追い込まれていた現役最高齢棋士、有吉道夫九段(73)=兵庫県宝塚市=が高崎一生四段(22)を降し、4勝6敗で同組残留を決め、現役を続行することになった。

 有吉九段は岡山県備前市出身。故・大山康晴十五世名人に師事し、1955年にプロ棋士に昇格した。強い攻めの棋風から「火の玉流」の異名で呼ばれ、棋聖獲得1期をはじめ、棋戦優勝9回。今回で通算成績は1079勝983敗。

 順位戦は名人戦の挑戦権を争うクラス別リーグ戦で、上からA級、B級1組、同2組、C級1組、同2組の5クラスがある。その下のフリークラスに降級すれば、65歳定年のため自動的に引退が確定するところだった。

 有吉九段は「最後の1局になるかもしれないので一生懸命指した。将棋が好きなので、あと1年指せるという喜びは大きい」と語った。

【澤木政輝】

http://mainichi.jp/enta/shougi/news/20090311k0000m040150000c.html
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2009年3月 8日 (日)

新宿御苑にて① 梅を撮る

今年の初春は、曇りや雨が多く天候に恵まれませんね~。おかげで、初春の花撮りには、ほとんど出かけられず、ストレスがたまります。ちと前ですが、そんな中、新宿御苑で梅を撮ってきました。p(^-^)q

(この日も曇り。2月15日撮影、NikonD40+AF-S55-200mm

100mm 1/160秒 ISO200 F4.8絞り優先 露出補正+0.7

130mm 1/200秒 ISO400 F5.6絞り優先 露出補正+0.7

200mm 1/80秒 ISO400 F5.6絞り優先 露出補正+0.0

165mm 1/100秒 ISO400 F5.6絞り優先 露出補正+0.0

145mm 1/640秒 ISO200 F5.3絞り優先 露出補正+0.7

曇り空による光量不足のため、どうしてもシャッター速度が遅くなってしまいます。けっこう手ブレしました。こうなると、やはりVRレンズが欲しくなります。VRなしの私は、この日はISO400を多用して、何とか凌ごうと・・・。(さすがに800だと、花撮りの場合は、画質が気になるので。)

55mm 1/640秒 ISO200 F6.3絞り優先 露出補正+0.0


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